空飛ぶくじら

世界の美しさを封印

・今年の11月最後の日、ヒョウとみぞれが降った。少し明るかった空が急に翳り、ゴツゴツと音がしたと思ったらたくさんのヒョウが降ってきた。仕事中だったわたしは手を止めて咄嗟に上司と顔を見合わせ、窓の外を見ると小粒大の氷の塊が降っている。ヒョウなんか見るのは本当に久しぶりで。そのあとみぞれに変わり、そしてその日の夜は完全に冬の匂いだった。わたしは「ああ、きたんだな」と深呼吸しながら思った。

人が季節を感じる瞬間はいつなんだろうか。

たとえば視覚、木の様子、花の色、空の模様、人の服の装い。雪が積もったあとの静けさ。肌をくるむような冷気。吐く息の白さ。わたしたちは五感の中に生きている。平坦な現代の生活の合間に、敏感に生きていく。感動しなくなれば、惰性で呼吸しているだけの生きる屍だ。

 

・昼間の突風の所為か、帰宅したら玄関の前に黄色い絨毯が敷き詰められていた。近くにイチョウの木はないはずなのに、どこから煽られて飛んできたのか。ちょうど建物のど真ん中に位置するわたしの部屋の前は強風の日に遠路はるばる飛んでくる葉っぱたちの吹き溜まりになることがしばしばある。今年の秋は紅葉を見に行ったり落ち葉拾いに公園に行ったりできなかったので、吹き溜まっている葉っぱたちをみて少し嬉しくなった。

最近おすそ分けでもらった銀杏を食べる機会があった。茶碗蒸しに入ってる銀杏を避けるタイプの人間だったので、なんとなく食わず嫌いで今まで食べてこなかったが、殻を割って電子レンジで温めて塩につけて食べるとほくほくしてすごく美味しい。日本酒が欲しくなる。においが強烈だけど。昔の人はあのにおいがするものをよく食べようと思ったよね。コンニャクとか梅とか、そのままでは食べられないものを食べられるように工夫する執念、すごい。

 

・偏頭痛持ちの暖房酔いを起こす人種にはつらい季節がやってきた。よりによって温風直撃の席である。もうわたしのデスクは外でいいから暖房のない環境で仕事したい。働くことに向いていない。

輻射熱なら大丈夫だから、電気ストーブとか薪ストーブとか、エアコンじゃなければ生きていける。部屋の中ではコタツと電気ストーブ。温風がだめ。これわかる人いないかな。偏頭痛も暖房酔いも社会的にマイノリティすぎて理解されにくい。めちゃくちゃ日常生活に支障きたすから。それまで我慢していた分帰宅したら一歩も動けなくなるから。下手したら何日か長引くから。なんなら生理痛より酷いし、生理痛併発したら地獄をみるから。まじインフェルノだから。みんなに合わせる社会じゃなくて、一人一人が働きやすい環境にしてほしいな。日本のムラ社会的思想は一人称がやたら大きくなりがち。金子みすゞを見習ってほしい。みんなちがって、みんないい。現代の捻くれた個人主義じゃなくてさ、共感じゃなくて認識しあえる環境がいいな。そんなことを考える、冬。ほんとはみんな、もっと休みたいよね。わたしも休みたいな。