空飛ぶくじら

世界の美しさを封印

新嘗祭

 

・今日は新嘗祭勤労感謝の日)だった。何の祝日かもあまり認識せず、のほほんと出かけてしまった。日本人なので祝日を意識していきたい。何となく一年を過ごしてしまうけど、現代病を煩わないためにはハレとケを区別する必要があると思う。単調に流れやすい生活に、折り目節目をつける。

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美術館をぶらっとして葉っぱを拾った。群れている葉っぱはいい。落ち葉を踏みながら散歩をするのがこの季節の楽しみ。色みが綺麗な葉っぱを拾うと、帰って本に挟み、しばらく置いて押し花にする。霜月は拾う季節だ。葉っぱだけでなく、栗や銀杏、柿、りんご、みかん、夢、希望、愛。思わず拾ってしまうものが多い。落ちていたらの話だけど。

 

・うちにはちりめんでできた大きな緋鯉のぬいぐるみがある。それはわたしが熱烈に支持している小説の一節に出てくるため、五月人形用のぬいぐるみをインターネットで買ったものだ。数年前、大きなダンボールの中に入っていた伝票が熨斗がけされていたときは、まさか注文主が二十代前半の独身女性とは誰も思わないだろうな、と虚ろな気分になった。ぬいぐるみ自体はとても気に入っている。百二十センチくらいの大きさなので抱き枕にはちょうどいいし、コタツで寝ころんで枕にするのもいい。「登竜門」という言葉に鯉は「竜門」と呼ばれる川をさか上ることで龍になると由来がある通り、出世の象徴のような意味もある。わたしが出世をしたらたぶんこの緋鯉ちゃんのおかげだろう。本人の意思は別にして。

 

・ライフ・ワーク・バランス。きっとわたしたちさとり世代は、たくさん稼ぐことより、適度に日々生きていけてたまにちょっと贅沢ができるくらいの稼ぎしか望まない。多くを望まず、羽目も外さず、物事を冷静に合理的に分析できる世代だ。たぶん。だから精神論や悪しき慣習などには簡単には屈しない。身体は拘束されても精神までは拘束できないだろう。と思う。自信がなくなってきた。楽して生きたい。わたしはできるだけ楽して生きたい。苦しいことに立ち向かうことが美徳な社会でも、わたしは楽して生きたいと思う。楽しければいいけれどつらいのは嫌だ。逃げたらダメな理由がわからない。

粛々と社会の歯車として消費される。自分より社会貢献を優先しなければならないのか。基本的人権とは何なのか。健康で文化的な最低限度の生活とは何なのか。わたしはわからなくなる。

 

・いつか標本を作りたい。虫は苦手なので、石とか、葉っぱとか、花びらとか。貝殻とか苔も面白いかな。収集癖。

 

・部屋を片付けられないのはどうしてだろう。ちょっと片付けてもすぐに自分が座ったときの手の可動域に物が集中する。物を探す時間は最大に無駄な時間だろう。分かってはいても、どうしても片付かない。部屋も心も散らかったままだ。